『ここで大事なのが、えっちではなく性的ということ。
両者は似て非なるものです。
個人的な意見として、えっちはちんちんの脳みそで考えた時に魅力的だと思うこと、性的は頭の脳みそが理性的に考えて魅力的に思うことだと考えています。
杏奈ちゃんは性的。つまり致せません。』
フォロワーのブログを読んで目から鱗が落ちた。
『性的とえっちは違う』
そのとおりだ。まったく今まで私は何を見て生きてきたんだ。
(以下、性的=致せない、えっち=致せるで話を進めていきます)
私は今まで担当アイドルに対して性的な目を向けぬよう自分を律してきた。
私はプロデューサーという立場だ。彼女、そして彼女のユニットをトップアイドルに導くために日々のレッスンや仕事のスケジュールを組み、オーディションを勝ち抜かせてきた。
そこに存在した感情は、彼女と結婚したいからでも彼女とイチャイチャしたいからでもない。
ただ彼女をトップアイドルにしたかったからだ。
そして担当をえっちな目で見た瞬間に私たちの間にある信頼関係は崩れるだろう。
担当で致した手で担当の頭を撫でられるか?担当の晴れ舞台を舞台袖から見る時に胸を張っていられるか?一度致したが最後、彼女をまっすぐ見られないプロデュースが始まるぞ。
だから私は担当を性的な目で見ないようにしてきた。ピクシブでR18はミュート。ツイッターで流れてきたエロ絵はブロック。シャニマスの同人誌は読まないように生きてきた。
だがどうだ?
彼女を性的な目で見ない、すなわち彼女を性的な衣装や仕事から遠ざけることで、彼女の道を狭めてはいなかったか?
思えば古代より女性は「性的さ」をアピールして生き抜いてきた。
クレオパトラや楊貴妃はその美貌と性別を武器に激動の時代を生き抜いてきたではないか。
女性らしさ、女というジェンダーの話を持ち出すと、ジェンダーフリーが叫ばれている時代に逆行しているよう感じるかもしれないが、なにもえっちなことをして欲しいわけではない。
「性的さ」を武器として用いれば彼女はもっと輝けるのではないか?
大人になりつつある外見と、子供っぽい中身のギャップが彼女の魅力だろう。
なら中身の幼さを残したまま、視覚から得られる彼女をもっと大人にしてしまえばギャップが大きくなってさらに良いのではないか?
まとめよう。
担当をえっちな目で見ることのメリット:致せる
担当をえっちな目で見ることのデメリット:罪悪感
担当を性的な目で見ることのメリット:彼女のありのままの魅力に気づくことができる
担当を性的な目で見ることのデメリット:致せない
結論
小宮果穂は性的!!!!!!!でもえっちなことはだめだよ!!!!!
つまりシコったら負け。いいね?