9月3日
西日が部屋に差し込み、反対側の壁に二人分の影をつくる。普段なら私ひとりでいる部屋なのだが今日はもう一人。
周防桃子が家にいる。
理由は省くが元子役で現アイドルの周防桃子が家にいる。
家賃4万円の狭い部屋の隅っこで膝抱えてちっちゃくなって座っている。
頭を抱えているのは彼女だけじゃなくて私もだが。
やってしまった…。
とはいえいつまでもこうしてはいられない。異質な日常に差し込むいつも通りの夕日をカーテンで遮りながら、晩ご飯の準備に取りかかる。
「あぁー…周防さん?」
呼びかけた私の声にのっそり顔を上げる彼女。
「晩ご飯つくるけれど、なにか嫌いなものとかあるかな?」
ちょっと考えた後、首を振る。良かった。私のレパートリーは数少ない。苦手と言われたら改めて買い出しに行かなければいけなかった。
いろいろと問題は積み重なっているが、ご飯くらいは現実逃避。
なんならご飯から元気を出していけばこの状況の解決策が見つかるかもしれない。
30分ほどで出来上がり、廊下備え付けのキッチンからリビングに持って行くと、周防さんが行儀良くちゃぶ台の前に座っていた。
「なにか…お手伝いすることある?」
「う、ううん!だ、大丈夫」
この部屋に来てから初めて声を聞いたので、少しビックリしてしまった。
二人で向かい合わせに座り、手を合わせる。
今日のご飯はお好み焼き。私の得意料理だ。
「「いただきます」」
こうして奇妙な同居生活が始まった。
9月4日
社畜の朝は早い。
目が覚めると同時に体の節々を痛みが襲ってきた。
そういえば床に座布団敷いて…と昨夜のことを思い出す。
ベッドを見ると規則正しく動く布団の膨らみがあり、昨日からの出来事が夢ではないし、何も解決していないと理解する。
ため息をついて立ち上がる。
出勤まであと一時間ほど。周防さんを起こさないように朝ご飯の準備をしながら今日どうしようか考える。
周防さんと朝ご飯を食べながら、日中の行動を話し合う。とは言っても
「私は外に出ない方が良いんでしょう?」
周防さんが当たり前のようにそう言ってくる。ごめんね。
私が仕事に行っている間は家の漫画やゲームを自由にして良いから、と言い残して日常の象徴である仕事に出かけた。
幸い今日が金曜日で、明日からは休日。今日さえ乗り切れればしばらくは二人の時間が過ごせるはずだ。
こんな状況でも一切怪しまれずに仕事をこなすことができて、もしかしたら演技の才能があるかもしれないと突拍子もないことを考えながら家に帰る。
「おかえりなさい」
「…ただいま!」
迎えてくれる人がいるというのは良いものだ。
9月5日
起きてきた周防さんに何かしたいことはある?と聞くとゲームがしたい、と返事が返ってきた。
シアターの仲が良いアイドルにアニメやゲームが好きな子がいるらしく、興味は持っていたがなかなか手を出せなかったらしい。
とはいえうちにあるゲームは一人用のRPGかアイドルをプロデュースするものしかない。
国民的配管工のゲームでも買いに行くか。
家の周りはやけに制服姿の大人が多かった。休日だというのにご苦労様です。
9月6日
日曜日。世間一般では学校も職場も休みとなり、一週間で最も幸福度が高いと言っても過言ではないだろう。
今日も周防さんより早く起きてしまった。というかやはり座布団ではぐっすり眠れない。
なんとなく気になってベッドに近づく。
テレビで見るよりも、今まで遠目に見てきた顔とも、そしてこの部屋で過ごしてきたとも違う、年相応の寝顔がそこにはあった。
「できれば起きてるときもこんな顔をしてくれたらなぁ」
そしたら彼女を誘拐した甲斐があったというものなのに。
日中は二人でゲームをしながら過ごした。
私も基本的にひとりでしかゲームをしないので、協力プレイは新鮮で楽しかった。
不便をかけてごめんね、と謝るとこれは演技ではないな、という困った顔で「いいよ」と。
こうやってなんでもかんでも飲み込んできたんだろうなと思うと、この子がかわいそうで仕方が無くなる。
明日から平日。たぶん一緒に過ごせるタイムリミットももう少し。
だったらやりたいようにやろう。
9月7日
「遊園地に行きます」
「え?」
やっぱりよく眠れなかった私は、周防さんを起こさないようにお弁当を作り、水筒を用意し、リュックに着替えと荷物を詰め込んで準備をした。
仕事なんて知らない。どうせクビになるんだ。
起きてきた周防さんに詳しく説明せずに、歯磨きと着替えだけさせて準備させる。
「でも、私が外に出ちゃったら…」
「うん。変装はしてもらうことになるけれど…。でも早めに家を出れば大丈夫でしょう」
登山帽とだて眼鏡を装備させ、狭い玄関で靴を履く。
一か八かだけれど、どうか今日一日くらいは。
そう祈り、手をつなぎながら家を出た。
遊園地。
子供の憧れといえばここ、そう思って連れてきてしまったが、聞くとこの間アイドル仲間と一緒に来ていたらしい。
「まさかだった…私も来たことなかったのに」「え、お姉さん遊園地初めてなの?」「うん。家族も友達もいなかったからね…」
「じゃあ桃子が今日は一緒に遊んであげるね」
天使や…。
メリーゴーランド、ジェットコースター、ミラーワールド。
お化け屋敷ではめちゃくちゃビビる私に苦笑いし、大きなジェットコースターでは身長制限に引っかかって顔を真っ赤にして怒り、スプラッシュではお互い髪をびちょちょにして顔を見合わせて笑った。
最後、閉園間際の観覧車。
「いや~~、やりたいことやれたわ~~!」
本来は周防さんの表情を引き出すための一日だったのに、明らかに私の方が楽しんでしまっていた。
反省反省、と笑いながら冗談を言っていると
「ねぇ、お姉ちゃんはなんで桃子に声をかけてくれたの?」
と真面目なトーンで聞かれる。今日一日で『お姉さん』から『お姉ちゃん』になったかぁ~とそこに嬉しくなりながら、どこから話したものかと言葉を選ぶ。
「まず、私は周防さんを誘拐した。このことは誰に何を言われてもそう答えてね」
「半年前ね。私は人生のどん底にいたの。親がいなくて、学校でいじめられてて就職したもののブラックで寝る暇も無くて」
「ある日の夜フラフラと海沿いを歩いてたの。もう死んでしまいたいって思いながら。そしたらとある建物から賑やかな声が聞こえてきた」
「後から知ったんだけれどその日はこけら落とし公演で、誰でも無料で見れたのよね。そこで私は周防さんに出会ったの」
「小さな体を一生懸命使って全力で声を張り上げるあなたを見て、どうしようもなく惹かれてしまって」
「気づいたらファンになってました」
「毎回公演を見に行くお金なんて無かったから、テレビやラジオの出番はチェックして、どうにかセンター公演だけは観に行って。そうこうしてるうちにもっとあなたの近くに行きたくて」
「家まで調べ上げちゃったら意外と私の家の近くだったから運命感じちゃった。でも毎朝毎晩家を出るあなたの顔と家に帰るあなたの顔を見てたら、全然輝いていなかったの」
「プロのオンとオフなのかなぁと思ったけど、それにしても気になったから調べてみたら家庭環境の話が出てきちゃって」
「そしてあの日、家の前まで送ってもらったのに家に帰らずに公園で黄昏れてたでしょ?だからつい声をかけちゃったの」
気づくと観覧車は一周していた。係の指示に従って降りた私たちはそのまま黙って遊園地を出た。
いやぁそれもそうだよなぁストーカー宣言しちゃったもんなぁ。
「ねぇお姉ちゃん?」
もうすぐ家というところで周防さんが口を開いた。
「今日の晩ご飯はお好み焼きがいい」
「…一緒につくる?」
人生で一番幸せな日だった。
9月8日
今日も今日とて周防さんより早く起きた私は、彼女の分の朝ご飯だけ準備し、家を出た。
自首しようと思ったのに家を出たところで取り押さえられてしまったので自首になったのかどうか分からないが。